引退の宮里藍 選手、関係者、ファンからの感謝ツイートが止まらない

海外女子

2003年、アマチュアの18歳で日本のミヤギテレビ杯をアマチュアで優勝して、一人の女子高生プロゴルファーが誕生した。

それから14年以上、日本の女子ツアー、そして世界のゴルフ界は、宮里の背中を追いかけたと言っていいだろう。

日本ではその後の2年で11勝。藍ちゃんフィーバーになり、多くのジュニアゴルファーの目指すべき姿となった。

それはまるで韓国の朴セリが米国女子で活躍し、母国の女子アマゴルファーの目標となり、世界や日本の女子ゴルフ界を韓国勢が席巻しているように。

宮里は2006年から米国女子に参戦し、ファンからの期待を背負いつつも、なかなか結果が出なかった。
それからやっと3年後、エビアン選手権がメジャー大会になる前の2009年に、涙の海外初優勝。
2010年は5勝をあげ世界ランク1位になった。
2011年にはエビアンの2回目王者に。
その後、2012年も2勝したが、次の勝利をあげることはできなかった。

そんな、宮里の良い時も悪い時も知ってるエビアン選手権は、今大会を最後に引退する宮里藍一色に染まっていた。
エビアン選手権からは、「ここはあなたの故郷、生涯大使として毎年来るように!」と依願をされた。

そして大会前から現在も引き続き、世界のトップ選手やLPGA関係者、ファンから宮里に対する感謝のコメントが止まらない状況だ。

それは、各ソーシャルメディアの『 #AIWillMissYou 』 というハッシュタグで投稿されている。

そのいくつかが、ニューヨークタイムズを含めた世界中のメディアにも取り上げられた。
宮里藍が誰からも愛されるパーソナリティなこと、これまでの素晴らしい戦績、世界のゴルフ界にどれほど影響を与えたかが紹介されている。

『自らに厳しく、いつも笑顔で、他人を思いやり、気品がある、最も愛すべき、あなたがいない明日からは違うツアーになるだろう・・・』

これほどまでに選手や関係者、ゴルフ界から愛された選手はいただろうか?
競技は違えどMLBのニューヨーク・ヤンキースを2014年に引退したデレク・ジーターに近いとも言える。

宮里は、ホールアウト後のインタビューで、引退後どうするかはこれから考えたいとコメントしつつも、アメリカからも離れたくはないと答えた。

多くのLPGA選手が引退後の彼女の人生を応援したいと語ったが、果たして宮里はどこに行くのか?

世界は宮里を離さないだろう。

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